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2012年6月16日 (土)

ぼくを葬る

フォトグラファーとして活躍するロマンは、撮影中に倒れてしまい診察を受けたところ、末期がんで余命3カ月と診断されてしまいます。化学療法を受けても治る可能性は低いと知ったロマンは、治療をしないで過ごすことを決めます。
家族に話そうとするも、長年険悪な関係にある姉とのこともあって、言い出すことができません。また、ゲイの恋人サシャと同居していましたが、彼のことも家から追い出してしまいます。
死ぬ前にと祖母に会いに行く途中で立ち寄ったダイナーで、不妊に悩むジャニィと出会い、とある申し出をされます。


死期の迫った主人公という設定では、去年見た「ビューティフル」とか「50/50」なんかがありましたが、「ビューティフル」より若く独身で、「50/50」のようにコメディタッチでもないので、もっと悲壮感があるかなと思っていました。
でも実際は淡々と描かれていたし、子供の頃の回想が時折入ったりして、彼の心情の変遷がよくわかり、とてもよかったです。

私自身も、最初からもっと感情移入するかと思いましたが、この淡々とした進行のせいか、最初は一歩引いた感じで見ていて、ロマンのことを冷静に見つめていました。
それが一転したのは、一度は追い出したサシャと再会し、彼の手を自分の胸に当てて心臓の鼓動を感じさせ、「まだ動いてる」と言った時。さすがに涙が出そうになりました。

主人公が、最初は投げやりで人を突き放そうとする態度で、家族にも恋人にも接していたのに、徐々に自分の死を受け入れて準備をするようになる過程が、とても身近に感じました。
そして、写真だけが彼の自己表現だということなのでしょう、自分の記憶を形に残そうとするかのように、場面場面を写真に収めていく姿が感動的でした。

自分が余命数カ月と宣告されたらどうするか、「ビューティフル」の時にも書きましたが、南の島へ行って死を待つという目的は、誰にも知られずひっそり死にたいという願望でもあり、そういう意味で、このフランソワ・オゾンの死生観は、私にとてもマッチしている気がします。

また、ジャニィの申し出により感じたのは、死に行く自分にも残せるものがある、生きた証、意義みたいなものを持てるというロマンのかすかな希望でした。誰しもそうなのかもと思わされました。
私も今まで意識したことはなかったけれど、考えてみると、このブログを通して、何がしかを世の中に残せているような気もするし。普段は深く考えずに書いていますが、私が死んだ後でも読んでくれる人がいるのなら嬉しいかも。そんな日がすぐに来ないことを願いますが、その日が来るまでは頑張って書き続けます。happy01

主役のメルヴィル・プポーは、「ゼロ時間の謎」や「ブロークン・イングリッシュ」でも触れましたが、今まではこんなにいい男と思ってなくて、ゲイ役だとカッコよく見えるのかしら?bleah 彼の作品をもっと見て、検証したいと思います。

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